手塚 貴晴 (1987卒)如学会第13代会長
今ブラジルに居ます。昨日までコーヒー農園に宿泊していました。コーヒー農園というと呑気にリゾートに浸っているかのように思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、実は木造建築のシンポジウムの為に来ています。ここでアグリフォレストという農法を学びました。今世界ではアマゾンの森林破壊が話題となっています。確かに森林破壊そのものは問題なのですが、それ以上に上から目線で森林破壊を非難する先進国の態度が気になりました。かつて多くの日本人がブラジルに渡り開発をしました。そこには直向きに日常を切り開く開拓精神がありました。日本を含む先進国はかつて同様な開発をして今の国土を作り上げた歴史があります。先進国はすでに森林破壊をし尽くした罪があるのです。その先進国がしたり顔で森林破壊を非難する態度は横柄以外の何物でもありません。実際のところ開発農家は自然破壊を漫然と行っているわけではない事を学びました。木を植え森を再生しながら森と共に生きる努力を重ねているのです。その手法をアグリフォレストリと言います。森を作りながら持続可能な大地を作るという手法です。誇るべきは、その手法を作り上げたのが、日本人達であったという事なのです。なぜブラジルは地球の反対側にある日本から農家をわざわざ呼び寄せたのか。それは「日本人であればなんとかする。」という確信があったからなのだそうです。85歳の鈴木さんという人に会いました。1960年にブラジルに渡り、身一つで3000ヘクタールを耕す大農園を作り上げました。沢山の子孫と後輩を育て、深い深い皺が刻まれた顔から、一人で日本を背負っているかのようなオーラが漂っていました。
農園にいて思い出したのは、かつて本校で教えていた広瀬鎌二先生です。同じようなフロンティア精神がありました。東京都市大学の前身である武蔵工業大学の卒業生には、そういうアマゾンを切り開いてきた日系移民のような直向きさがあります。強い。ふと気がつくと、その頃の先生の歳になりつつあります。しかも気がつくと柄にもなく、建築学科の卒業生の会である如学会の会長になってしまいました。柄にもなくというのは、どうみても広瀬先生のような威厳が備わっていないからです。実際のところ、私は会長に立候補した訳ではありません。山岡さんという以前の会長から強引に押し上げられてハシゴを外された状況です。それでも今は良かったと思っています。後輩達に背中をみせる機会が増えたと思えるようになったからです。農園の鈴木さんのように、あるいは広瀬鎌二先生のように背中を見せたいと思えるようになったからです。開拓するのは大変な事です。同様に大学を出て生きてゆくのは大変な事です。建築というのは分野に関わらず大変な事です。東西南北が全くわからないブラジルのジャングルを切り開くように。その時道標になるのは、木々の間に見え隠れする先輩の背中です。
私自身は毎日ジャングルを切り開く農民のように、もがきつつ生きる毎日です。もう教授生活も28年になりますが、もっと教えられたらと反省し続ける毎日です。そのくらい時間のない人生を送ってきました。不甲斐ない会長です。しかしその分だけ良いことがあります。出来の悪い私だからこそ支えてくれる後輩達がいます。後輩達の顔を見ると、沢山の思い出が湧き出してきて目が潤みます。気がつくと私も還暦の壁を超えました。しかし今でも腕相撲はなかなか負けません。そういう古くもなく新しくもなく微妙な位置でもがく会長です。手は回りません。問題があるときは、私を担ぎ上げた山岡先生に持ち込んでください。困り事があったら、私を助けてくれる栗田副会長に相談してください。そういう会長でありたいと思っています。よろしくお願い申し上げます。